私は、ゆとり世代で育ってきました。ゆとり世代とは関係が無いのかもしれませんが、小さい時からあまり怒れずに育ってきました。
怒られない環境というのが私にとっては当たり前の環境でした。
しかし社会人になり、怒られるということが増えてきました。怒られることに対して免疫のない私は最初、どう受け止めて良いかわからず動揺していました。
しかし、怒るということは体力や気力も使うものだと思います。
それなのに怒ってくれるのは、その人のことをなんとか良くしたいと思っているからだと思います。
「なぜ、自分が怒られなければいけないんだと考えるのではなく、私の為を思って言ってくれているのだから、成長しなくては」と考えられるようになってきました。
私は、愛を持って怒ってくれる人が多くいるほど恵まれた環境だと思います。
そのような環境に置かれてる方も世の中にはいると思います。怒られて不機嫌になるのではなく、どのようにしたら改善されるのかを考えることが大切だと思います。
ただ怒られたと感じるのではなく、意味があって怒ってくれていると思えれば、より人間として成長できるのではないかなと思いました。
2017年7月26日水曜日
2017年7月24日月曜日
走り続ける意志
つい先日のことです。
何年振りか覚えもないくらい連絡を取っていなかった友人との話です。
私が小学生の頃から付き合いのある友人。
彼は今、自分の会社を設立し年収は〇千万を稼ぐほどの経営者になっていました。
話のきっかけは、彼が私に問いかけた「自分はどう見えているのか」と言う
何とも漠然とした話から始まりました。
私は昔から、友人たちには遠慮がなく相談事にストレートな意見をすると言われてきました。
確かに、自分でも自覚はあります。
親身に話せる友人に、わざわざ遠慮をして話しても友人の為にならないと思っているからです。
それこそ学生時代はストレートすぎて、それが原因で喧嘩をすることもありました。
話を戻して、なぜいきなり彼は私にそんな話をしたのかですが・・・
彼は、彼自身が冨や名誉を持ったことで変わってしまったか聞きたいとの事でした。
私は、少し考え答えました。
「変わったと思う」と・・・。
彼は「どう変わった」か問いました。
私は「余計なプライドがなくなった」、「大人になった」、「余裕ができた」と。
彼は昔から努力家で、やると決めたことに対してストイックなタイプな性格であった。
きっと今も同じだと思う。
いいところがそのまま残っている、そんな感じがしました。
実は、彼の書いているブログは定期的に見ていて
なぜ見ていたかと言うと、彼が自分以外の誰かのために必死になって協力をする姿勢に惚
れていたからだと思います。
彼が成功する為に心がけ意識している事をいくつか聞いてみました。
彼は
「現状の打破」、「成功したい」、「自由になりたい」、そして
「絶対にやり遂げるって強い意志があれば何でも成功する」と言いました。
なんか、名言集みたいに拾い集められそうなカッコイイことを、さらっと言うんですよ。
その続きもあります。
「ダメだと思った時点で何にもできないし言い訳を作って逃げたくなるだけだからさ」
「やらなきゃいけない環境を作って自分を追い込んでやれば、なんでもできる」と。
彼は、私に一言。
「ありがとう」と。
親切心ブログにこの会話を載せようと思ったのは
自分の周りにどれだけの支えてくれる人がいるか
親身になって話せる相手がいるか
時間がたっても親身に話せるか
考えたことはありますか?
彼は言った。
「必要であればいつでも頼ってほしい」と。
私は言った。
「ありがとう。やっぱ変わってないかもしれない」と。
彼は、小学校の頃からまったく変わっていない。
優しくて、頼りになって、裏切らない。
なにごとも決めたらやる男だ。
夢半ば、彼が事故で足を切断していなかったら、
彼は今も、その時の夢に向かって走り続けていたのかもしれない。
だが、今も
私の目にはしっかりと、彼は走り続けて見えている。
2017年7月17日月曜日
レンタルアンブレラやってますッ( ・`ω・´) キリ
ニュースで九州地方や愛知県などの豪雨を目にされた方も多いと思いますが、
2週間ほど前に、浦安市でゲリラ豪雨があったことを御存じでしょうか。
私は会社から帰ろうとしたときに、ちょうど雨が激しくなり、
新浦安駅の広場が、夜にも関わらす雨で真っ白に染まり、大粒の雨で隣の人との会話もままならないほどの状況でした。
その時に、恐らく塾帰りの小学生の男の子2人が傘も持たずにモナの入り口で雨宿りをしていましたので、私はお店に戻ってその子たちにお客様用として使っている傘を渡してあげました。
後日、その子供たちが傘を返却しに来てくれました。
しかも、手紙とお菓子をもって・・o(*・ロ・*)o
とっても心が温まりました。
感謝をされることは、本当にうれしいですね。
生きているエネルギーにつながります。(*´ω`*)
(お菓子はおいしく頂きました。とてもおいしかったです)
ちなみに渡したこの傘は、1年半ほど前に
私たちが親切心の活動として、
“お客様に使用していただく用”
“急な雨などの際にお渡しをする用”にて準備をしていたものです。
(中々、急な雨などの際にお渡しをすることができなかったので、今回の件で人の役に立ててレンタルアンブレラ君も喜んでおりました。)
最近、飲料メーカーのダイドーさんが
同じような活動を行っていることをTVで知って、
ウチでもやっているよ~!( 」´0`)」
ロイヤルハウジングでもレンタルアンブレラやってますよーL(‘▽‘)/!!!!!!!!
と伝えたくてブログに掲載をさせていただきました。
私たちロイヤルハウジングは
街の方々にとって、身近な存在でありたいと考えておりますので、
急な雨などでお困りの際には、お立ち寄りくださいませ。ヾ(o´∀`o)ノ
2017年7月9日日曜日
道案内
突然ですが、私は昔からよく見知らぬ人に道を聞かれます。
何十年間これが普通だと思っていたので気にもとめていなかったのですが、
ある時友人に一緒に歩いているとよく道を聞かれると言われ、
私は比較的声をかけられる事が多い方なのだと気が付きました。
土地勘がない場所で聞かれる事もあり、道も電車も詳しくないので正確な返答が出来ず、
役に立てずに終わる事も多いのですが、
気が付けば、終わったあと優しい気持ちになれている自分に気が付きました。
大した事もしていないのに「ありがとうございます」と言われるとすごく嬉しいです。
正直、急いでいる時などは少し面倒だなと思ってしまう時もあります。
なんで私なんだろう?と思ってしまう時もあります。
ただ、きっとこの人なら親切に教えてくれるだろうと思って貰えて私に声をかけてくれたのだから、
喜んでいい事なんだと思えるようになり、
なにより人に親切にする事は自分自身も嬉しいと気付き、忙しい時でも笑顔で協力してあげようと思えるようになりました。
どこかでまぬけ顔の人はよく道を聞かれると聞き、
私はそんなに何も考えてなさそうな顔をして毎日歩いているのか…と少しだけ悲しくなった時期もありましたが、
親切な事をできるチャンスが多い私は、まぬけ顔に生まれて幸せだとも思えるようになりました(笑)
ありがとうの一言は言う方も、言われる方も嬉しくなる素敵な言葉です。
これからも小さな事やできることから親切心が広がっていけばいいなと思います。
2017年7月3日月曜日
親切な思いは、行動に移す事が大事!
6月中旬の頃の話です。
私は新松戸駅から武蔵野線を利用して出勤しております。
朝のラッシュ時、ホーム上は人でごった返しており、乗車率もかなりのものです。
そんな いつもと変わらずに出勤しようと7時55分の電車を待っているときの出来事です。
帽子を目深に被り、サングラスをかけ、犬を連れた70代くらいのおばあちゃんが、駅のホーム上で
立ち止まったまま辺りをキョロキョロと見回していました。
その様子からは何か困っているが、声を掛けられない様子が感じ取れました。
しかし、朝の忙しい時間帯ということもあり、そのおばあちゃんに気づく人はいましたがなかなか声
を掛ける人はいませんでした。私もその一人でした。
そこへ電車がやってきたのですが、そのおばあちゃんは乗車することなくそのままそこへ立ち止
まったまま電車は通過して行きました。そこへ通りがかった30代くらいの小さなお子様を連れた一
人の女性がそのおばあちゃんに気づき「お手伝いしますよ」とおばあちゃんの手を取りました。
おばあちゃんは「ありがとう」と笑顔を浮かべ女性に御礼を述べるとホームの端へその女性に手を
ひかれていきました。
なにかに困っている人に気づく人はこの世の中大勢いると思います。
しかし、日本人は性格の問題なのか気づいても自分が声を掛けなくても誰かが声を掛けるだろう。
そう考える人が大多数だと思います。
困っている人に気づいたらなんのためらいもなく声を掛ける。
それこそが、無意識でやる本当の意味での親切心であると私は気づかされると同時にそれが出来
なかった自分が「情けなく、恥ずかしい」、そんな気持ちになりました。
これから先の人生、その女性のように困っている人がいたら、「どうしましたか」と行動できる人間に
なるよう生きていかなければと思いました。
皆様もこういった場面には遭遇する機会はあると思います。
思いをすぐに行動に移せる本当の意味での親切心を実行できる人になってください。
私は新松戸駅から武蔵野線を利用して出勤しております。
朝のラッシュ時、ホーム上は人でごった返しており、乗車率もかなりのものです。
そんな いつもと変わらずに出勤しようと7時55分の電車を待っているときの出来事です。
帽子を目深に被り、サングラスをかけ、犬を連れた70代くらいのおばあちゃんが、駅のホーム上で
立ち止まったまま辺りをキョロキョロと見回していました。
その様子からは何か困っているが、声を掛けられない様子が感じ取れました。
しかし、朝の忙しい時間帯ということもあり、そのおばあちゃんに気づく人はいましたがなかなか声
を掛ける人はいませんでした。私もその一人でした。
そこへ電車がやってきたのですが、そのおばあちゃんは乗車することなくそのままそこへ立ち止
まったまま電車は通過して行きました。そこへ通りがかった30代くらいの小さなお子様を連れた一
人の女性がそのおばあちゃんに気づき「お手伝いしますよ」とおばあちゃんの手を取りました。
おばあちゃんは「ありがとう」と笑顔を浮かべ女性に御礼を述べるとホームの端へその女性に手を
ひかれていきました。
なにかに困っている人に気づく人はこの世の中大勢いると思います。
しかし、日本人は性格の問題なのか気づいても自分が声を掛けなくても誰かが声を掛けるだろう。
そう考える人が大多数だと思います。
困っている人に気づいたらなんのためらいもなく声を掛ける。
それこそが、無意識でやる本当の意味での親切心であると私は気づかされると同時にそれが出来
なかった自分が「情けなく、恥ずかしい」、そんな気持ちになりました。
これから先の人生、その女性のように困っている人がいたら、「どうしましたか」と行動できる人間に
なるよう生きていかなければと思いました。
皆様もこういった場面には遭遇する機会はあると思います。
思いをすぐに行動に移せる本当の意味での親切心を実行できる人になってください。
登録:
投稿 (Atom)