2018年9月11日火曜日

きっかけは親切から




4年に一度、浦安市で行われる三社祭で起きたある出来事のお話です。


私は当時、料理人をしていました。

将来的には病院などで出てくる病院食や特別治療食を作れる調理師を目指していました。



自分自身が1度大きな事故で入院をした際、病院食の経験をしており

もともと料理が好きだった私は高校時代にはおいしい料理でみんなを笑顔にできる料理人になりたいと考えていました。


父がレストランの支配人、母と姉が看護師ということも影響したのかもしれません。






2008年、私はホテルの調理師として仕事をしていました。



出勤はランチ前の10時頃、入れ替わりの人と交代にランチのスタンバイを始めます。



夜は翌日の朝食の準備を程々に、賄いを作り夕飯を済ませると地下にある仮眠室でシャワーを浴びて日が変わるころに仮眠します。



朝は330分には起きて厨房に向かい、自分より大きな鍋でスープを作り、自分の胴体より大きなフライパンを脇に挟んで振っていました。



毎日、大変ではありましたが自分の作る料理で誰かが喜ぶなら嬉しかったです。



2008614日 金曜日

私は浦安のお祭り【三社祭】に参加していました。



三日間にわたって行われる三社祭は4年に一度

オリンピックと同じ年に行われる浦安市の一大イベントです。



もちろん私も参加いたしました。



社会人に入って初めての三社祭。

職場の方々も気持ちよくお休みを了承していただき

肩が腫れ上がるほど神輿を担ぎまくっていました。




2008615日 土曜日

前日の物足りなさを埋め合わせるかのように

朝から晩まで神輿を担ぎ既に声は別人のようになっていました。



例年通り、このあたりから救急車のサイレンの音をよく耳にします。



担ぐことに夢中になりすぎて脱水症状になったり



あまりの興奮に失神したり



酒の飲みすぎでひっくり返ったりと



いろんな意味で大騒ぎします。




2008616日 日曜日

今日が最終日ということもあり

朝から酒漬け状態で大盛り上がりの中

すぐ近くの側道で男性が倒れて痙攣しています。



看護師の母と姉、それと同じ神酒所の姉の友人がかけより

その場ですぐ対応。



脈拍、呼吸、心肺確認など

さすが現役が三人もいると安心してみていられました。



その後まもなく、救急隊の方が来て男性は運ばれます。


私はその時、一番対応をしていた姉の友人に一言

「余計なお世話かもしれないけど、申し送りしなくて大丈夫?」と声をかけ

姉の友人は、ハッとした素振りで救急隊に説明に行きました。



戻ってきた彼女に「お疲れ様、大丈夫だった?」と声をかけると

彼女は「ありがとう。ちょっと動揺していたから声かけてくれて助かった」と

本当は緊張していたことなど色々話してくれました。



救急車を見送り、その後も最後まで御祭は大盛り上がりをしました。





2018年 現在



私には可愛い娘が二人います。


妻によく似て行動力があり人にとても優しい娘たちです。



なんでも将来は看護師かプリンセスになりたいそうです。



あの時、私が一声かけていなければ今見ている娘たちには出会えなかったかと思うと

あの時「・・・大丈夫?」と一言を言った自分をほめてやりたいです。



今となっては馴初めの一コマではありますが

人に対する思いやりや親切の一言で人生は大きく変わることを私は実感しました。