私が小学校1年生の時のエピソードです。
当時、私の席の近くに同級生のI君がいました。I君は産まれつき発達障害を持っており、同級生と比べて少し成長が遅れていました。その為か、同じクラスの子との接し方もわからず、距離を取っており、気が付くと1人でいることも多々ありました。
I君の様子を見て、私は当時、人見知りしない性格であったため、I君に積極的に話しかけて友達になろうとしていました。学校終わりに校庭でサッカーを教えたり、教室で宿題を一緒にやったりと私自身I君と一緒にいる時間はまるで弟と遊んでいるようで楽しかった思い出となっています。
放課後、遅くなった日はI君を自宅まで送る事などもありました。そのため、I君のお母様とも会う機会が多々あり、
「いつも遊んでくれてありがとう。毎日学校行くのが楽しいみたい」など、お母様からのお礼の言葉をもらい、普段感情をめったに表に出さないI君の気持ちを知り、私は照れ臭い反面、とてもうれしい気持ちになったのを覚えています。
引っ越し日当日、I君の家の前まで見送りしに行き、I君とお母様から、
「●●さんが友達で良かった。別の学校に行ってしまうけど、ずっと友達でいてね。」と言われ、お別れをしました。私もすごく寂しかったですが、I君と友達になれたことは今でも良かったと思っています。
そして現在17年経ち、この前地元のスーパーで買い物していたら、「もしかして●●さん?」と女性から声をかけられ、「Iの母親ですが、覚えてますか?」とI君のお母様に再会しました。
それから5分ほどの立ち話をし、「実は公立の小学校に馴染めるか不安で、入学させるか迷っていたの。でも、●●さんが仲良くしてくれたから、安心して息子を毎日学校に通わせることができたんです。あの時はIの友達でいてくれて本当にありがとうね。」引っ越した後のI君の話を聞き、約17年前の出来事でしたが感謝の言葉を頂きました。I君は今も障害を持ちながらですが、地元を離れて仕事をしているそうです。
私は当時、単純に接していただけでしたが、I君やI君のお母様には親切と感じてもらえ、現在もI君やお母様の中で良い思い出となっていたと知り、私も心が温かい気持ちになりました。
子供の頃は損得や他人の視線などを気にせずに自然と行っていた行動が、大人になるにつれ失われる気がします。17年前の思い出ですが、子供の頃の純粋な気持ちを大事にし、これからも長い人生の中、小さな親切心を通じて、誰かの心の癒しになればと改めて感じることができました。